創業明治6年、日本最古のクラシックリゾートホテル「日光金谷ホテル」
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「おさげして、よろしゅうございますか?」
テーブルの袖から丁寧な言葉をかけられた。
うなずくと即座に、魚料理を食べ終えた皿に手が伸びる。
メインダイニングで私のテーブルを担当した菊地行男さんは、いかにもベテランの風貌だ。
慣れた手つきだが、両手で料理を差し出すのが印象に残る。歩幅は大きいのに、その足音はこのフロアの誰よりも静かなのではないだろうか。
菊地さんによると、以前の金谷太郎社長は、朝食と夕食の際に必ずといってよいほどフロアの隅の席に座り、サービスの様子と料理の質について細かに目配りをしていたそうだ。
テーブルに運ばれるパンにもすかさず手をかざして温かさを気にされ、スタッフの足音にも配慮するなど、菊地さん自身も入社したての頃には指導されたという。
20歳でこのホテルに就職し、レストランのフロアで働き始めて今年で52年。40年、50年昔に鍛えられ、身についた所作をベテランとなった今も守りつづけている。
外国文化と日本文化の懸け橋となり、常に最良のものを提供してきた国際的リゾートホテル
日光金谷ホテルは、国の登録有形文化財にも登録された、現存する最古のリゾートホテル。その成り立ちは、口コミによって海外で評価された最初の宿といえるだろう。
雅楽で使う管楽器「笙(しょう)」の奏者であった金谷善一郎が、宿が無くて困っていたアメリカ人を自宅に招き入れたのが始まり。そのアメリカ人が、生麦事件の負傷者の治療にあたった医師であり、ヘボン式ローマ字の考案者としても知られたJ.C.ヘップバーン(ヘボン)博士。明治4年のことである。
博士の勧めもあって、夏の間、外国人のために自宅を提供し、家族総出でもてなしたことから、金谷家の評判が海外で広がった。リピーターも増え、収容人数を増やさざるを得なくなり、建築途中だった他社のホテルを買収。同26年、「金谷ホテル」として開業した。
ホテルの見どころは、建築の歴史とともに多岐にわたる。
開業した当初の建物が現在の本館。東照宮を思わせる華やかな木彫や欄干には見入ってしまう。20世紀を代表する建築家のひとり、フランク・ロイド・ライトがデザインに寄与したと伝えられる、大谷石の暖炉も見逃せない。
和と洋が調和した特別な空間
明治34年に本館の奥に建て増しされたのが、新館。かつてダンスホールとして人気を呼んだ宴会場も必見だ。特殊な構造で柱の無い大空間を実現させている。
スケートリンクの休憩場所の竜宮は、大正5年の建設と推定される。
昭和10年には、本館の斜め向かいに木造3階建ての別館が新築された。
設計は、恵比寿ガーデンプレイスや赤坂サカスなどの作品で知られる大手設計事務所・久米設計の創業者・久米権九郎(ごんくろう)。耐震木造建築の第一人者でもあった建築家が手がけた別館は、そのデザインはもちろん、独特の壁構造にも建築界から注目が集まる。
かつてリンドバーグやヘレンケラー、アインシュタイン、池波正太郎たちが泊まったホテル
チェックインした部屋は、別館。
掃除を終えた部屋をいくつか案内してもらうと、建築家の力の入りようが伝わってきた。
同じ方角・間取りの特別室でも2階と3階では天井のデザインが変わるように、部屋の意匠はすべて異なる。共通するのは大きな透明と擦りガラスの二重窓だ。桟(さん)が視界を遮らない設計は、現代建築へと通じる斬新なもの。中庭や日光連山等々、部屋によってさまざまな眺望が楽しめる。
外観を特徴づけるほど大きな、上枠が火炎型の曲線を描く窓・火灯窓(かとうまど)はバスルーム。その明るさに目を見張った。
宿に到着してすぐに印象づけられたのは、スタッフの手によるサービスだ。
エントランス近くに車を寄せると、すぐさま建物の中からスタッフが、お荷物を運びましょう、と迎えに出てきた。
別館にはエレベーターがない。部屋へと案内するスタッフが、重たいスーツケースを2つ、両手に提げつつ階段で運んでくれた。
撮影のために別館から本館へと何度も行き来したが、本館の開き戸は私が取手に触れる前にスタッフの手によって開かれ、回転ドアのほうを使えばそこにも回転を補助する手が差し出された。
金谷ホテル伝統の料理を堪能
夕食の時間となり、日替わりのコースを注文した。
サーモンと湯葉のオードブルも、サツマイモのポタージュスープも、塩漬けした豚バラ肉で平目を巻き、リゾットを添えた魚料理も、見た眼は素朴な料理だ。器も、ホテルの刻印がきらりと光る簡素なデザイン。だがどれも口にした途端に、サービスしてくれた菊地さんの姿を探してしまうほど美味しかった。
シェフは肝心の味よりもインスタ映えに関心があるのではと思ってしまうような、今風の料理とは対照的だ。
肉料理は、舞茸の入った赤ワインソースの牛フィレ肉のステーキを選んだ。やはりシンプルな盛りつけだが、だからこそ素材の美味しさが伝わってくる。
菊地さんが、グラスに水を注ぎ足してくれた。
「このホテルで使っていますお水は、すべて湧き水なんです」
だからか、と納得する。注文したアルコールのグラスよりもつい、水のグラスへと手が伸びてしまう。
創業時から変わらぬ「おもてなしの心」
52年の間に、料理をする人も、サービスをする人も移り変わる。だがそのベースは伝統として、今も昔も変わらないと菊地さんはにこやかに語った。
玄関脇に立つ、高さ30メートル弱のヒマラヤスギを巨大なクリスマスツリーに見立てて電飾で飾るのもまた、ホテル伝統なのだという。そういえば客室のドアにはすべて、小さなクリスマスリースが飾られていた。
「建物も、お料理も、季節ごとの行事も、お客さまがいついらっしゃっても何も変わらない。わたくしどもにとって、そのことが大切なことなんです」
その言葉が、すうっと私の中に沁みわたる。
10年前の、20年前の、50年、100年前の金谷ホテルへと、思いが飛ぶ。
その時々にクリスマスを迎えようとするホテルの様子が、私には見えるような気がした。
明治から平成まで時代と共に歩んできた日光金谷ホテル
今回のヒトトキ「美しい日本の宿へ」はいかがだったでしょうか。明治から平成まで、時代と共に歩んできた日光金谷ホテルは開業当時の趣を色濃く残しており、かつてリンドバーグやヘレンケラー、アインシュタイン、池波正太郎たちが訪れたクラシックホテル。140年の歴史に想いとヒトトキを堪能してみてはいかがでしょうか。
宿情報
日光金谷ホテル
住所:〒132-1401 栃木県日光市上鉢石町1300
電話:0288-54-0001
https://www.kanayahotel.co.jp/nkh/
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稲葉なおと紀行作家・一級建築士
東京工業大学建築学科卒。短編旅行記集『まだ見ぬホテルへ』でデビュー。長編旅行記『遠い宮殿』でJTB紀行文学大賞奨励賞受賞。その後、世界の名建築宿に500軒以上泊まり歩きながら写真集、長編小説、児童文学を次々と発表し活動領域を広げる。テレビ、ラジオにも出演。ノンフィクション『匠たちの名旅館』、小説『0マイル』など著書多数。デビュー20周年記念刊行・長編小説『ホシノカケラ』が話題に。公式サイトでも名建築宿の写真を多数公開中。
http://www.naotoinaba.com
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