
月城かなと
『グレート・ギャツビー』は、フィッツジェラルドの小説をミュージカル化した作品で、宝塚歌劇でもこれまで2度上演されています。そのなかで印象的なシーンは、ギャツビーが亡くなった後、彼のお父さんがギャツビーが幼いころに書いた「日記」を読んでいるところに、白いスーツを着たギャツビーが登場して「朝日の昇る前に」を歌うところ。前半でも同じ曲を歌いますが、意味が違って聞こえます。演出もすごく素敵だなと感じますし、自分が演じるにあたっても、きっと全然違う気持ちで歌うのだろうなと想像していて、大切にしたいと思っています。
映画化も多くされた作品で、近年だとレオナルド・ディカプリオさん主演の作品が印象深いです。公開されたときのインタビュー記事で、「若いころ読んだときには意味や本の良さがわからなかった。大人になって読んでみると、なぜこれが悲劇と呼ばれているのかがわかる」というようなことをおっしゃっていました。私も以前、『THE LAST PARTY』という作品でフィッツジェラルド役を演じた際に原作を読んだのですが、いま思うときっとわかり切っていなかったな、と。
改めて読んでみると、人がつい共感してしまうギャツビーの魅力とともに、作品のテーマが普遍的なものだと感じます。誰しもが幼いころに夢見ていたものがあると思いますが、それを追いかけてどこまでも手を伸ばし続ける。そんな部分には、きっと多くの人が共感できるのではないでしょうか。
ギャツビーは、デイジーを手に入れることに関してはすごくロマンチストな人。それがどんなに無謀なことであるかや、彼女が変わってしまっていることもわかっていて、自分がやっていることの愚かさやむなしさも感じている。それでもなお、あの瞬間に戻せるのではと信じているところがギャツビーの魅力であり、表現するのが難しい部分だろうなと感じています。とにかくさまざまな面を持っている人なので、一途にデイジーを愛した男性というだけに見えないようにしたいです。
再演させていただくからには、新しい魅力や新しい解釈を作品に加えられるように追求したいです。そのためにも作品に込められたメッセージを深く理解して演じたいですし、それを自分自身がどこまで掘り下げられるのか。うみちゃん(海乃)や組の皆さんと意見交換しながら、作品に対する理解を深めていくことが楽しみです。そして最後には「月組らしい作品だね」とお客様に言っていただける公演になったらいいなと思っています。自分のなかの男役の可能性が広がっていくのも楽しみです。恐れず挑んでいきたいですね。
ぜひ、楽しんでご観劇いただけたらと思います。
海乃美月
『グレート・ギャツビー』といえば、一気に1920年代の世界観に引きこまれるような冒頭のセットが思い浮かびます。また、ギャツビーが「朝日の昇る前に」を歌うシーンも、気持ちがグッと伝わってきてとても印象的ですね。この作品の面白さは、人間らしさがあるところ。時代もいまとは全然違うのに、どこか共感してしまう部分があるのが魅力だなと思います。
デイジーは、本質の部分はロマンチストなのではないかなと感じています。ただ周りの状況によってリアリストな考えをしないと生きていけなかったり、そこに弱さや甘えもあると思います。どちらの感覚も持っている女性だと思うので、その辺りをしっかり表現していきたいですね。
月城さんは、この作品に限らず、いつもイメージしていることを周りに共有してくだる方。みんなが同じ方向に向きやすくなるという環境が本当に素敵だなと思いますので、今作も月城さんがイメージされるものに寄り添って、そのなかで自分が発見したものも取り入れながら、新しい作品を生み出せたらと思います。
月組は、芝居に対して貪欲でどこまでも追求される方がたくさんいらっしゃる組なので、演じることによって、この作品の奥の深さをより知っていけるのではと思います。私自身も追求し続け、感じたものをお客様にしっかりお見せできるよう、お稽古していきたいです。