一路 アクションや感情表現が大きく、現代のトートだと思うけれど、私は冷静に演じていて、それがいまも体に残っているのかな。
春野 でも、一番ストレートで強く伝わってくるものがありました。
一路 伝わっていたらうれしいな。
――今作の魅力、また宝塚でトート、東宝でエリザベートを演じたお2人ならではの、トートとエリザベートの関係性の解釈は?
一路 トートのキャラクターが、世界中で一番宝塚の男役に合っている。男役が演じることでトートも作品も魅力を増すと思いますね。
春野 言葉にするのは難しいですが、男役によって、作品世界を広げられるのも魅力の1つですよね。あとはやはり素晴らしい音楽。
一路 本当にそう!
春野 ルキーニが登場して舞台が始まると、一気に世界に連れて行かれる感じもいい。
一路 プロローグの入りがいいんだよね。あと両方演じて感じたのは、2人は同じ人だということ。表裏一体の存在で、エリザベートが苦しいときにトートが出てくる。だから、2012年『ガラ・コンサート』のトートの作り方も自分のなかで変わっていました。宝塚時代よりも、表面的に情熱があったかもしれない。
春野 パッションが!
一路 そう!(笑)。エリザベートの気持ちが入ったトートだったかも。
春野 確かに、トートだけを演じていたら、エリザベートを追いかける、愛するということばかりになってしまいますが、エリザベートを演じてみると彼女が何を求めていたのかがわかった。だから『ガラ・コンサート』ではトートの役柄が広がったように感じました。包容力のような……。
一路 そうなんだよね、私もまったく同じ。
春野 エリザベートが求めているものをトートでも出したいと思うようになりました。
――お2人とも'12年の『ガラ・コンサート』以来、4年ぶりのトートですが。
一路 '12年のときは、予想外に本公演に近いものを求められて(笑)。実はものすごくあがいて、血のにじむ思いをしたんです。退団して16年、子供も産んでいたので、当時の力までもっていくのが、ものすごく辛くて。でもある程度のものができて燃え尽きたので、今回はフルコーラスや扮装で歌うのをお断りしたんです。
春野 そうなんですか!?
一路 うん。演出の小池修一郎先生もわかってくださって、初演メンバーがそろうことに意味があるから、舞台で映像を見ながらトークをしてくれ、と。なので、今回は気楽に出ます(笑)。2幕で若干歌いますけどね。
春野 私は反対に『エリザベート』がお披露目で、やりたいことができなかったんです。
一路 やりたい余地や可能性が自分のなかに残っているんだね。
春野 はい。『ガラ・コンサート』では背負うものが何もないので、気持ちが自由。だから、そのときに感じること、いま表現できることを歌に注ぎ込んで、自由に歌えたらな、と。当時は、一路さんのトートや作品の衝撃が強く残っていて、お客様のイメージもあるから、違う路線に行ってはいけないと縛られて、何がやりたいのか、どれが私の気持ちなのか見失ってしまったんです。
一路 さっき小池先生も同じことを言ってた。初演のときは誰も何もわからなかったはずなのに、なんでいまは「あの人はトートらしくない」とか、「フランツはこうあるべき」とかあるんだと。フランツに会ったことがあるのか!と怒ってた(笑)。
春野 本当ですか?
一路 うん(笑)。
春野 自分でも勝手にイメージを膨らませていますしね。
一路 初演もむちゃくちゃ大変だったけど、再演も大変なんだね。
春野 でも一路さんをはじめ、最初に作られたときは本当にご苦労があったと思うので、自分の色を出すのも大事ですが、やはりその土台の部分を塗り替えてはいけないな、と。それを大切にしながら、今回のコンサートで歌っていきたいですね。