永久輝せあコーナー
今月のメッセージ
全身全霊で挑んだ『ドン・ジュアン』。
8月1日に千秋楽を迎えた、花組御園座公演『ドン・ジュアン』。ご観劇くださった皆様、本当にありがとうございました。
お稽古場から1分1秒無駄にできないという濃い日々を過ごし、ただただこの作品をお客様にお届けすることだけを考え、我を忘れて作品に没頭していました。先生方も最後まで情熱的に皆を引っ張り上げてくださり、その勢いに乗って初日を迎えたので「プレお披露目だから」ということを感じる余裕は一切なく、実感はあまりないままでした。
ですが、初日の1幕ラスト、フラメンコの大ナンバーが終わった途端に拍手がワッと湧き上がったとき、お客様の心にぐっと届いたような感覚があり、胸が熱くなりました。そして2幕ラストでドン・ジュアンが亡くなった後、みんなのコーラスのなかで歌うとき、ライトが明るく真っ白な世界が本当に美しく、1人ひとりの思いが浮き上がっているかのようで……お客様がいらっしゃる空間も含めてすごく印象に残り、あの景色は今後もずっと忘れないと思います。
それからは毎公演全力で、全身全霊で役に生きていました。みさきちゃん(星空美咲)とも毎日反省会をして、見えづらくなったところや、拾い切れていないせりふを確認し合ったり微調整することはありましたが、テクニック的なことよりも、情熱や思いの強さ、全力で出し切るというエネルギーの方が大事だな、と。体力的にもハードな作品でしたが、情熱をほとばしらせて駆け抜ける日々は、本当に楽しかったです。
お稽古初日は、自分がこんなにも作品を楽しめるようになるなんて、思ってもみませんでした。大好きな作品、憧れの役に挑戦できる喜びはありましたが、それと同時に自分にとっては大きな壁であると感じていて……。集合日に潤色・演出の生田大和先生と「それでも楽しめたらいいね」と話をしていたのですが、稽古中は焦りや自分の未熟さを思い知り、つい楽しむことを忘れてしまって、終盤になってようやく「楽しむって決めたんだった」と思い出して(笑)、結果的に公演中はものすごく楽しめていました。
お稽古場から1分1秒無駄にできないという濃い日々を過ごし、ただただこの作品をお客様にお届けすることだけを考え、我を忘れて作品に没頭していました。先生方も最後まで情熱的に皆を引っ張り上げてくださり、その勢いに乗って初日を迎えたので「プレお披露目だから」ということを感じる余裕は一切なく、実感はあまりないままでした。
ですが、初日の1幕ラスト、フラメンコの大ナンバーが終わった途端に拍手がワッと湧き上がったとき、お客様の心にぐっと届いたような感覚があり、胸が熱くなりました。そして2幕ラストでドン・ジュアンが亡くなった後、みんなのコーラスのなかで歌うとき、ライトが明るく真っ白な世界が本当に美しく、1人ひとりの思いが浮き上がっているかのようで……お客様がいらっしゃる空間も含めてすごく印象に残り、あの景色は今後もずっと忘れないと思います。
それからは毎公演全力で、全身全霊で役に生きていました。みさきちゃん(星空美咲)とも毎日反省会をして、見えづらくなったところや、拾い切れていないせりふを確認し合ったり微調整することはありましたが、テクニック的なことよりも、情熱や思いの強さ、全力で出し切るというエネルギーの方が大事だな、と。体力的にもハードな作品でしたが、情熱をほとばしらせて駆け抜ける日々は、本当に楽しかったです。
お稽古初日は、自分がこんなにも作品を楽しめるようになるなんて、思ってもみませんでした。大好きな作品、憧れの役に挑戦できる喜びはありましたが、それと同時に自分にとっては大きな壁であると感じていて……。集合日に潤色・演出の生田大和先生と「それでも楽しめたらいいね」と話をしていたのですが、稽古中は焦りや自分の未熟さを思い知り、つい楽しむことを忘れてしまって、終盤になってようやく「楽しむって決めたんだった」と思い出して(笑)、結果的に公演中はものすごく楽しめていました。
ドン・ジュアンとマリア。
最後にマリアを見て「彼女の心で生き続けるために死ぬ」と歌うところがあるのですが、あるとき、愛というのは究極的には一方的だと気づいたんです。愛してほしい、愛してもらえるかどうかというのは他者の判断によるもので、ドン・ジュアンにとってはマリアに愛されたいというよりマリアを愛していることが重要で、自分のこれまでしてきた罪の部分を殺すことで本当に生まれ変わったことを証明し、マリアを愛する者として相応しい男になるために死を選んだのだと感じました。なので彼女の心のなかで忘れないでもらうため、ではなく自分が彼女のなかで生きていくために、という意味合いなのでは、と。
それは彼の一方的な感情で本当に身勝手だなと思いながらも、愛ってそういう一方的に捧げるものなのではないか……。そこにたどり着いたドン・ジュアンが愛おしいですし、公演中に「彼の一番好きなところはどこだろう」とふと考えたときに、そんな自分勝手だけど男らしいところかなと思いました。
お稽古に臨む前は、"マリアと出会う前"と"出会った後"という大きく分けて2部構成だと思っていましたが、実はもう1段階あったということも感じました。マリアと出会って愛のすべてを知った気になっているだけだったから、婚約者のラファエルの存在に苦しみ、元のドン・ジュアンに戻ってしまう。でも結果的に"本当の愛に気づく""そのために変わろうとする"戦いの部分が3部目なのではないかな、と。
この公演は"石"が大きなテーマになっていたのでマリアの工房のシーンが以前より増えました。他の人にはそうでなくてもマリアとドン・ジュアンにとっては美しく神聖な場所で、出番前にスタンバイしながら見ていると、きれいな美術館や博物館のような感覚がありましたし、お稽古のときから工房のシーンになるとなぜかすごく落ち着ける感覚がありました。そして今回は2人の愛の象徴として彫った石のバラが登場しますが、冒頭と最後では受ける印象も違い、とっても素敵な演出だと思いました。
作品のポスターでマリアは聖母マリアのような雰囲気でしたが、実際に作品のなかに入ってみると、実はとても人間的で、ドン・ジュアンと共に戦っているようなマリア像でした。ラファエルとの結婚が控えているけれど、やりたいことを認めてもらえてなくてどこか窮屈に生きているマリアと、自分の居場所や世の中を諦めているようなドン・ジュアン。そんな外れた者同士が惹かれ合い、だからこそのめり込んで周りが見えなくなる。『ドン・ジュアン』というタイトルですが、ナンバーの歌詞にもあるように「ドン・ジュアンとマリア」は2人セットで、一緒にいることで周囲から奇妙に浮いているような、そんな印象がありました。
それは彼の一方的な感情で本当に身勝手だなと思いながらも、愛ってそういう一方的に捧げるものなのではないか……。そこにたどり着いたドン・ジュアンが愛おしいですし、公演中に「彼の一番好きなところはどこだろう」とふと考えたときに、そんな自分勝手だけど男らしいところかなと思いました。
お稽古に臨む前は、"マリアと出会う前"と"出会った後"という大きく分けて2部構成だと思っていましたが、実はもう1段階あったということも感じました。マリアと出会って愛のすべてを知った気になっているだけだったから、婚約者のラファエルの存在に苦しみ、元のドン・ジュアンに戻ってしまう。でも結果的に"本当の愛に気づく""そのために変わろうとする"戦いの部分が3部目なのではないかな、と。
この公演は"石"が大きなテーマになっていたのでマリアの工房のシーンが以前より増えました。他の人にはそうでなくてもマリアとドン・ジュアンにとっては美しく神聖な場所で、出番前にスタンバイしながら見ていると、きれいな美術館や博物館のような感覚がありましたし、お稽古のときから工房のシーンになるとなぜかすごく落ち着ける感覚がありました。そして今回は2人の愛の象徴として彫った石のバラが登場しますが、冒頭と最後では受ける印象も違い、とっても素敵な演出だと思いました。
作品のポスターでマリアは聖母マリアのような雰囲気でしたが、実際に作品のなかに入ってみると、実はとても人間的で、ドン・ジュアンと共に戦っているようなマリア像でした。ラファエルとの結婚が控えているけれど、やりたいことを認めてもらえてなくてどこか窮屈に生きているマリアと、自分の居場所や世の中を諦めているようなドン・ジュアン。そんな外れた者同士が惹かれ合い、だからこそのめり込んで周りが見えなくなる。『ドン・ジュアン』というタイトルですが、ナンバーの歌詞にもあるように「ドン・ジュアンとマリア」は2人セットで、一緒にいることで周囲から奇妙に浮いているような、そんな印象がありました。
それぞれの役との関係性、感じた作品の魅力とは。
騎士団長の亡霊は、ドン・ジュアンの心の声でもあるので、最初はすごく鬱陶しいのですが、最後の決闘の場面でやり取りするときには、どこか"最後の頼り"のような感覚があって……。私自身も騎士団長の呪いによって罰を受けたという感覚はなく、むしろ彼は"愛を教えてくれた人"なのでは、と。同期のあかり(綺城ひか理)の魅力の1つでもある温かさがあって、お稽古場から石であり亡霊のはずなのに、なぜか温もりを感じるような不思議な感覚がありました。
じゅんこさん(英真なおき)演じる父ドン・ルイとの関係性も、より濃く描かれていました。ドン・ジュアンは、両親の間に深い愛情を見ることなく育ったと思います。"よく泣いていた"母親から、女は弱いものという先入観が芽生え、家に恥じないように生きろと父には抑圧されて、反発心もあったと思います。でもそんな父もドン・ジュアンが死んだ後、「息子の選んだ道だから、誰も恨まない」と彼の人生を尊重してくれる。最後の最後に父と息子の溝が埋まったことに、ドン・ジュアンとしては死んでいるのですが(笑)、毎回胸を熱くしながらじゅんこさんのせりふを聞いていました。
けいこさん(美穂圭子)のイザベルも本当に魅力的で、すべてを見通して大事なことを語っているイザベルの言葉は、自分の気付きが深まるたびに心に響きました。じゅんこさん、けいこさんが初演に続いて出てくださるとお聞きしたときに、とても心強くうれしい反面、お2人に見合うドン・ジュアンになれるかなということが私にとってチャレンジでした。でも、お2人のお力と作品に対しての愛情によって、自然とドン・ジュアンになれたような気がしました。本当に感謝の気持ちでいっぱいです。
らいと(希波らいと)演じるカルロとは、公演中にどんどん関係性が濃くなっていきました。カルロは理性的だけど心の中に渦巻くものに蓋をしている。ドン・ジュアンはそんな必死に取り繕うカルロを興味深く感じていますが、らいとが一生懸命役に向き合っている姿とも重なって、お芝居していて楽しかったです。
あわちゃん(美羽愛)のエルヴィラは、本当に修道院から出て来たことが伝わる清楚さと目の奥の強さがあり、ぴったりだなと感じました。酒場のナンバーも似合っていましたし、物語のなかのエルヴィラの役割が明確で、私自身もドン・ジュアンとの対比を実感しやすかったです。ラファエルのれいん(天城れいん)とは、お稽古場で決闘シーンをたくさん練習しました。盆が回りながらの大きな立ち回りで、相手の呼吸を感じながら動かないと成立しないような場面でしたが、立ち回りの相性が良く、すごく信頼して毎回演じていました。
じゅんこさん(英真なおき)演じる父ドン・ルイとの関係性も、より濃く描かれていました。ドン・ジュアンは、両親の間に深い愛情を見ることなく育ったと思います。"よく泣いていた"母親から、女は弱いものという先入観が芽生え、家に恥じないように生きろと父には抑圧されて、反発心もあったと思います。でもそんな父もドン・ジュアンが死んだ後、「息子の選んだ道だから、誰も恨まない」と彼の人生を尊重してくれる。最後の最後に父と息子の溝が埋まったことに、ドン・ジュアンとしては死んでいるのですが(笑)、毎回胸を熱くしながらじゅんこさんのせりふを聞いていました。
けいこさん(美穂圭子)のイザベルも本当に魅力的で、すべてを見通して大事なことを語っているイザベルの言葉は、自分の気付きが深まるたびに心に響きました。じゅんこさん、けいこさんが初演に続いて出てくださるとお聞きしたときに、とても心強くうれしい反面、お2人に見合うドン・ジュアンになれるかなということが私にとってチャレンジでした。でも、お2人のお力と作品に対しての愛情によって、自然とドン・ジュアンになれたような気がしました。本当に感謝の気持ちでいっぱいです。
らいと(希波らいと)演じるカルロとは、公演中にどんどん関係性が濃くなっていきました。カルロは理性的だけど心の中に渦巻くものに蓋をしている。ドン・ジュアンはそんな必死に取り繕うカルロを興味深く感じていますが、らいとが一生懸命役に向き合っている姿とも重なって、お芝居していて楽しかったです。
あわちゃん(美羽愛)のエルヴィラは、本当に修道院から出て来たことが伝わる清楚さと目の奥の強さがあり、ぴったりだなと感じました。酒場のナンバーも似合っていましたし、物語のなかのエルヴィラの役割が明確で、私自身もドン・ジュアンとの対比を実感しやすかったです。ラファエルのれいん(天城れいん)とは、お稽古場で決闘シーンをたくさん練習しました。盆が回りながらの大きな立ち回りで、相手の呼吸を感じながら動かないと成立しないような場面でしたが、立ち回りの相性が良く、すごく信頼して毎回演じていました。
『ドン・ジュアン』の魅力。
千秋楽まで全身全霊で駆け抜けて実感したのは、世界には愛が満ちているということ。人として大事なところに触れるドン・ジュアンの生きざま、なかでも一番大きなことは"愛の存在に気づく"ということだと思うんです。どんなに悪いことをした人でも思いのすべてを懸ければ、必ず愛に立ち返ることができるということを、出演者もお客様も目の当たりにする。そこに何か人生の美しさを感じる、そんなところが『ドン・ジュアン』の魅力なのではないかと感じました。
この作品はナンバーも難しく個人的にも勉強になりましたし、作品の大切な要素であるフラメンコからも多くの気付きがありました。ステップを踏む、踊るというよりは、地面を1回踏むたびに命を刻む、魂を刻み込んで自分の奥底とつながるような感覚で、まさに人間そのもの。このフラメンコも、観ている人を物語に引きずり込む大きな魅力だと思いました。
物語や音楽、フラメンコを含め、すべてが生半可な覚悟ではできない作品だったので、覚悟を決めるというのはこういうことなのかなと感じ、私にとって大きな経験となりました。
この作品はナンバーも難しく個人的にも勉強になりましたし、作品の大切な要素であるフラメンコからも多くの気付きがありました。ステップを踏む、踊るというよりは、地面を1回踏むたびに命を刻む、魂を刻み込んで自分の奥底とつながるような感覚で、まさに人間そのもの。このフラメンコも、観ている人を物語に引きずり込む大きな魅力だと思いました。
物語や音楽、フラメンコを含め、すべてが生半可な覚悟ではできない作品だったので、覚悟を決めるというのはこういうことなのかなと感じ、私にとって大きな経験となりました。
公演でうれしかったこと。
2016年の雪組初演メンバーの皆さんが、御園座まで観に来てくださいました! 新曲や場面が変わった新演出の作品をどう受け止めてくださるだろうと少し心配もあったのですが、のぞさん(望海風斗)をはじめ皆さん『ドン・ジュアン』を愛しているからこそ、「再演してくれてありがとう」「『ドン・ジュアン』カンパニーが増えてうれしい」とおっしゃってくださり、とってもうれしかったです! ラファエルを演じた初演から8年間蓄積されてきた思いが成仏したような感じがして、自分としても1つ区切りが付いた瞬間でもありました。
そして柚香光さん、まどかちゃん(星風まどか)も名古屋まで来てくださいました! お2人とは小劇場公演でご一緒することが多かったので、逆に客席から観ていただくことがとても新鮮で、客席に柚香さんがいてくださるということがすごくうれしかったです! また、ほのかちゃん(聖乃あすか)主演の『Liefie(リーフィー)-愛しい人-』 、『宝塚巴里祭2024』チームのみんなが観に来てくれたのも、とってもパワーをもらいました。『Liefie(リーフィー)-愛しい人-』 はお稽古場で、『宝塚巴里祭2024』は配信でしか観られませんでしたが、1人ひとりがそれぞれの公演でいろんなことを勉強し、楽しんでいることが伝わってきて刺激になりました。そして早く3チームが合流して、それぞれが学んだことを持ち寄って一緒に作品を作りたい!と。次回はそんな『エンジェリックライ』『Jubilee(ジュビリー)』のお話ができればと思います!
※このメッセージは、8/13(火)のものです。
そして柚香光さん、まどかちゃん(星風まどか)も名古屋まで来てくださいました! お2人とは小劇場公演でご一緒することが多かったので、逆に客席から観ていただくことがとても新鮮で、客席に柚香さんがいてくださるということがすごくうれしかったです! また、ほのかちゃん(聖乃あすか)主演の『Liefie(リーフィー)-愛しい人-』 、『宝塚巴里祭2024』チームのみんなが観に来てくれたのも、とってもパワーをもらいました。『Liefie(リーフィー)-愛しい人-』 はお稽古場で、『宝塚巴里祭2024』は配信でしか観られませんでしたが、1人ひとりがそれぞれの公演でいろんなことを勉強し、楽しんでいることが伝わってきて刺激になりました。そして早く3チームが合流して、それぞれが学んだことを持ち寄って一緒に作品を作りたい!と。次回はそんな『エンジェリックライ』『Jubilee(ジュビリー)』のお話ができればと思います!
※このメッセージは、8/13(火)のものです。